短編小説 温泉女子

静かな湯けむりの中で

冷たい冬の風が頬を刺すような午後、彩香は山深い温泉旅館へと足を運んだ。都会の喧騒から逃れるように選んだこの場所は、地元の人たちにも愛されるひっそりとした隠れ家だった。

旅館に到着すると、どこか懐かしい木の香りが鼻をくすぐる。受付を済ませた後、彩香は早速露天風呂へと向かった。

脱衣所の引き戸を開けると、木の香りが広がる静かな空間が彼女を包み込んだ。

「誰もいないみたい……」と、小さくつぶやきながら、彩香は足元にある籠を選んで荷物を置いた。

鏡に映る自分の姿にふと目を止めた。旅の疲れが少し顔に現れているようだったが、その分、この時間がどれほど待ち遠しかったかを思い出す。

一枚ずつ丁寧に服を脱ぎ、肌に触れる冷たい空気を感じるたびに、心も少しずつ軽くなるようだった。シャツを脱ぎ終え、最後の靴下を籠に入れ、露天風呂へと足を運んだ。

湯気立ちこめる浴場に足を踏み入れると、湯面から立ち上る蒸気がまるで迎え入れるようにふわりと体を包んだ。

ゆっくりと湯船に身を沈める。最初は熱さに驚いたものの、次第にその温もりが全身に広がり、冷えていた指先や肩がほぐれていく。湯船の縁に頭をもたれかけ、目を閉じると、微かに聞こえる風の音と、木々の葉擦れが心を穏やかにしてくれた。

「こうしていると、時間なんて忘れちゃうな……」


呟いた声が静かな湯けむりの中で消える。日頃の忙しさや不安がすっと遠ざかり、ただ温泉の心地よさに身を任せる時間が、この上ない贅沢に感じられた。

ふと、湯船から見上げた空には、柔らかい冬の日差しが差し込み、白い湯気と溶け合って幻想的な風景を作り出していた。心地よい湯温とともに、彩香はまるで別世界に迷い込んだかのような気分になった。

「また来たいな……ここに」

心の中でそう思いながら、彩香はゆっくりと湯から上がり、冷えた空気の中でまた新たな温泉の良さを感じた。